WEB小説「憂鬱を育む蟲」~第三章、蠧魚(とぎょ)の染み3~

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「ギャァアース!」

 鳥籠の横木へ爪をがっしりと引っ掻け、鮮やかな羽毛を羽織った鸚鵡(オウム)が一言そう鳴いた。それを契機に、鸚哥(インコ)や文鳥など、凄まじい数の小鳥が焦燥に駆られたような鳴き声をあげ始める。

 金網で袋小路になったその路地裏には、小鳥屋が延々と軒を連ねていた。

 小鳥屋の店舗内には収まりきらず、路上にまで小鳥を詰め込んだ鳥籠は溢れ出ている。体臭やら撒き散らされた糞尿やらで悪臭が酷い。長嘯中から集まった小鳥好き達が、これらの小鳥屋を熱心に覗いている。とある男は、牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡を曇らせて雛鳥の品定めをしていた。雛鳥のための保温器を取りつけた鳥籠の傍らには、袋詰めにした飛蝗(バッタ)や蛆虫などの大量の餌が積んである。蛆虫は飴色をした箱でてらてらと蠢動していた。

 この路地裏に並ぶ小鳥屋の一つに、「小鳥世界」と墨書した扁額を構えた店があった。門扉はない。軒先を踊っているのは色鮮やかな鸚鵡の羽根だ。開け放たれた店舗内は鳥籠に覆い尽くされていた。

 緑塗料を塗った木箱でできた鳥籠が、壁に沿って積載されている。天井からは裸電球を取り囲み、豪奢な彫刻を施した釣鐘型の鳥籠が幾つも吊りさげられていた。鳥籠の下に敷かれた華僑日報は、食い散らかされた餌やら水道水やらが散乱して墨汁が滲んでいる。

 この店舗の奥に、山高帽子を被った若者がいた。年齢の割に老成したこの若者は、小鳥世界の店主だ。直立不動のまま差し餌器を囓り、何かを凝視している。

 若者の視線の先、店の古びた勘定台には南瓜提灯が転がっていた。その下に敷かれた紙片に、「我去電視的仕事」と言う一文が書き殴られている。南瓜提灯の双眸からは蝋燭が覗いている。小鳥の囀りがうねる中、揺動する炎が若者を嘲笑っていた。

 *

 腐敗し崩れ始めた南瓜の周辺を、数匹の蠅が物欲しそうに旋回している。襤褸布を張った屋根の下、南瓜の原色がその荷車の台をけばけばしく彩っていた。

「おい──あんた。あんただよ、山高帽子被った」

 その不快げな声音に葉頴達ははっとする。見れば荷車越し、この露店の主に睨みつけられていた。露店の後背には大廈の壁面が聳立し、左右には骨董品や古着、ポルノ雑誌などを扱った他店が見える。露店と露店の間は、簡素な天幕によって境界線が引いてあった。

「そんな往来で白昼夢見てんじゃあねぇよ。さっさと帰って風水でも見に行ったらどうなんだ。──風水先生なんだろう?」

「おいおい、……いきなり帰れはなはいだろう? 冷たい奴だなあ」

 葉頴達は腰に両手を当てた。その飄然とした態度が神経を逆撫でしたらしい。

「そんな木彫り人形みたく不気味な顔した奴にいられると、商売の邪魔なんだよっ」

「何が商売だよ。どうせ、そんな腐った南瓜買う奴なんか何処探したっていやしないぞ。そんなことよりもさあ、本当にあんた他には何も情報持っていないのかい?」

「だから、何回もそう言ってんだろうがっ。雑劇学院について知ってんのは火事の話だけだ! ──それで気に入らなっていんなら他を探すんだな」

「でもな……」

 葉頴達がなおも何かを言おうとすると、店主は荷車の車輪を蹴りつけた。台に積まれた南瓜が崩れ、地面に転がり落ちる。集っていた蠅が逃げるのを見ながら、葉頴達はゆっくりと嘆息した。

 ──また無駄骨か。

 適当に硬貨を投げ、腐っていない南瓜を一個拝借してからその露店を離れた。南瓜を奥歯で囓りながら闇市全景を眺めやる。

 この闇市は、大廈と大廈、そしてそこから伸びた扁額に見下ろされていた。夜總会(ナイトクラブ)、カラオケ、粥麺専家などの屋号を記したその扁額は、互い違いに交錯することによって逢魔が時の空を覆い隠している。この闇市の向こうに、煉瓦で作られた雑劇学院の旧劇場が覗いていた。

 葉頴達は今、雇い主である郭鵬挙の命で聞き込みを行っている。

 内容は、依頼人の素行調査だ。黎彗嫻も別行動で聞き込みをしているはずだ。どうも、郭鵬挙は唐淵明がどうして龍脈公司に依頼を持ちかけたのか、その経路に納得がいかないようである。しかし成果は余りない。雑劇学院を知っている人間が一様に述べるのは、十年以上も前に起こった火事の話ばかりだ。

 話はこうだ。設立当初の雑劇学院で、大規模な火事が起こった。原因は爆竹の残り滓だ。炎は劇場の全てを飲み込み、激しく燃え盛った。この事故で、意気盛んな若手俳優だった唐淵明は左手を失う。運の悪いことに、倒壊した木材に押し潰されたのだ。消防隊員が来た時には手遅れだった。これが釣金型の義手の理由である。

 事故を契機に唐淵明は変わった。それまでも決して大人しい優等生というわけではなかったのだが、将来を閉ざされた絶望は唐淵明を荒ませたのである。黒社会との関係も噂されたそうだ。結局、同期俳優である戴友欄が学院長にまで登りつめても、自分は幹部の座で燻っていた。それが唐突な戴友欄の失踪により、俄に代理学院長に昇格する。

 確かに曰くありげな逸話だ。事務所での唐淵明は猫を被っていたのだろうか。しかしこんな同じ話ばかり聞かされても、失踪事件の調査は何の進展もしない。

 思案に暮れながら闇市の雑踏を歩いていた時だ。つと、背後から物音が聞こえた。それと同時に異様な気配を背中に感じる。慌てて振り向くが、後背には薄汚れた露店が広がっているだけで誰もいない。「龍宮粥麺」と書かれた粥麺専家の扁額が、電飾とともに中空で佇んでいた。

 ──何だ。

 確かに気配はあったのに。不審に思っていると声をかけられた。振り向くと、そこに奇妙な男が立っていた。銀色の兜型帽子を被っており、体には缶記章で麗色された外套を羽織っている。ぼさぼさの長髪で容貌は伺えないが、それは顔馴染みだった。発明屋の楊爵滋である。

 楊爵滋は自分のことを人造人間だと思っている変人科学者だ。何故だかは知らないが、人造人間だと言う荒唐無稽なこと以外に過去の記憶がない。そこを郭鵬挙に拾われたのだった。郭鵬挙は楊爵滋のことを知っているようである。

 今は郭鵬挙に紹介された研究室で発明に明け暮れている。黎彗嫻に電視眼鏡を作ってやったのも楊爵滋だ。精神は病んでいるが、知能指数は高い。

 その楊爵滋は、かくかくと奇天烈な身振りをしながら口を開いた。機械人形だからこんな動き方になってしまうらしい。強迫観念と言う奴だろうか。皺のせいで、実際に楊爵滋の口は腹話術人形のそれに見えた。

「サッキカラ一部始終ヲ観察シテイタダガヨ、ヒョットシテ郭先生ハ、雑劇学院ノ依頼ヲ受ケタノカ?」

「ああそうだぞ。依頼しに来たのは代理学院長だ。失踪事件が続くから、劇場の風水を見て欲しいんだそうだ」

 葉頴達は南瓜を囓り、水分を啜ってから路面の水溜まりに吐き出した。楊爵滋は糸に操られるような仕草をしながら腕を組む。

「ソレハ解ルゼ。ダガナ、何故頴達ガソンナ聞キ込ミナンカスルンダヨ。手前ラ龍脈公司ハ探偵ジャアナクテ風水先生ナンダロウガ。違ッタカイ?」

「おいおい、爵滋も甘いなあ。この依頼人が一番喜んで報酬を弾むのはどう言う時だと思うんだよ? それは風水師に従って風水を変え、なおかつ失踪事件が解決することだぞ。だから下調べによる仕込みは必要なんだ。少なくとも己等はそう思っている」

「──ナルホド。マアイイ、要スルニ頴達は唐淵明ニ関シテ調ベテンダロ? ダッタラ見セタイモノガアルンダゼ。損ハサセネェカラ、俺ノ店舗ヘ寄ッテケヨ」

 そうわざとらしい片言で言った後、楊爵滋は返事も待たずに行進し始めた。外套の缶記章がカチャカチャと音を立てる。

「家? ってことはつまり研究所のことか」

 呟きながら、葉頴達もその後を追う。何故楊爵滋が唐淵明の情報を知っているのかは知らないが、聞きたいことは沢山あった。

 つと、再び背中にさっきの気配を感じたので咄嗟に上を見あげた。しかし、上方には聳立した大廈と林立した扁額が見えるだけで、誰の姿もなかった。

 *

 龍宮粥麺の扁額の上に人影がある。それは猿の仮面を被った人間だった。仮面の上には、更に獅子の被りものをしている。

 猿仮面は暫くの間市場と二人の壮年を見下ろしていたが、やがて山高帽子を被った壮年が視線を逸らすと、扁額を蹴って跳びあがった。外套をはためかせ、逢魔が時の空に消える。扁額は、電飾で描かれた黄金の龍とともにみしりと軋んで、斜めに傾いた。

 *

 楊爵滋の研究所は、とある雑居大廈の地下にあった。その地下室はもともと居住できる空間ではなかったようだ。床面や仕切りには金網が張られ、天井は配管が這っている。部屋の端には、どうやら寝台らしき直方体の置物があった。

 そこらじゅうを開発途中の発明品が転がっている。葉頴達も、何回かこれらの試作品の実験台にされたことがあった。楊爵滋は主に、忘れられた過去の技術を復元することに力を注いでいる。素材と人数さえあれば宇宙船も造れると嘯いているので、結構優秀な科学者なのかも知れない。

「オイ、取リ敢エズ雑劇学院ニツイテ情報交換ヲシヨウゼ」

 精密な動きで鍵盤を叩きながら、椅子に腰掛けた楊爵滋が口を開いた。机上には、石油を入れた缶が置いてある。本体の電脳からは何本もの配線がはえ、絡まりあっている。電脳の固まりだ。

「それよりも、何であんたが雑劇学院のことを調べているんだよ」

「ソレハ後デ話スゼ。何事にも順番ッテモノガアル」

 楊爵滋は有無を言わさぬ声音でそう言った。葉頴達は仕方がないので、闇市で聞いた火事の話を話してやった。

「ナルホドナ。ジャア俺ガ聞イタ話ヲ教エテヤルガ、コノ失踪事件ニハアル共通点ガアルンダゼ」

「共通点? 何だそれ」

「ソレハスナワチ贈物ダ。失踪シタ者ハ生徒、教員ヲ問ワズソノ直前ニ奇妙ナ贈物ヲ受ケ取ッテイルヨウナンダゼ」

「何だそれ。怪盗の犯罪予告状みたいなものか? でも贈物なんてそんな明白な目印があるんなら注意を呼びかけりゃあいいじゃあないか、雑劇学院側も」

「如何セン不確実ナ噂ダカラナ。余計ナ波風ヲ立テタクナインダロウ。ソモソモ雑劇学院ハ失踪事件ソノモノヲ未ダ生徒側ニ隠蔽シテイルクライダカラナ」

「ううむ、何だかますます唐淵明の偽善的な態度が怪しくなってきたなあ……」

 葉頴達が南瓜の蔕を噛みながら眉を蹙めると、楊爵滋が地下室の隅を指さした。そこに半透明の立体映写幕がある。

「デダ、俺ガ見セタイモノッテノハコレナンダガナ」

 映写幕に数字が表示された。日付と数字と、概要が記されたそれは、雑劇学院の財政状況だった。立体的に重なって表示された映写幕には、劇場のモデリングが描出されている。そのさらに下層部の立体映写幕には、数値がグラフ化して表示されていた。

「おいおい、何だこれ。唐淵明の財産表もあるじゃあないか。よくこんなもの入手したなあ。機密データなんじゃあないのか?」

「倫理観ニ対スル敬イヲ欠片モ持チ合ワセテイナイ奴ガ、ヨク言ウゼ。ソレヨリモコレヲ見テ何カ気ガツカナイカ」

 何か、と呟きながら葉頴達はその記録を見直してみた。あることを気がつくのに、大した時間は必要でなかった。

「どうも、十年前を境に唐淵明の財産と、雑劇学院の運用資金が底上げされているようだな。
 それも急激に」

「トコロデ頴達ハ、黒社会ト映画界ノ関係ヲ知ッテイルカ」

 はあ、と葉頴達は間の抜けた返事をした。しかし唐突に振られたのだから仕方がない。黒社会と映画界の密接な関係は有名だ。黒社会が映画会社を経営し、それに有名俳優を強制出演させようとするのだ。

 一度出演したら最後、延々と黒社会との関係を続けなければならない。俳優や監督の中にはこれを断って白昼銃殺されたものや、嫌になって引退したものなどがいる。有名俳優などはこれに抗議する示威運動に参加したことがあった。

「それくらい知っているぞ。うちの郭先生も昔そう言う商売していたらしいし。でもそれとこの記録に何の関係があるんだよ。話が飛躍するなあ」

「──財政状況ノ急変ノ理由ハコレダ。十年前、豪遊スル金ニ困ッタ唐淵明ガ、雑劇学院ノ秘蔵女優ヲ黒社会ニ売ッチマッタンダゼ。コレニヨッテ多額ノ運用資金ガ手ニ入ッタワケダ。──コノ女優ノ名ハナ、歌南瓜ナンダ。アンタガ逃ゲラレタ嫁ダヨ」

「──歌南瓜だって?」

 困惑する。葉頴達は一つ首を振ると、楊爵滋を見下ろした。

「確かに歌南瓜は、騙されて黒社会に売られたとか言っていたが。自分の所属していた劇場幹部によって売られたのか。でもな、爵滋、だから何なんだ。何が言いたいのか知らないけど己等には関係のないことだぞ」

「ソウデモナイト思ウゼ」

「何だって? どういうことなんだ。それにさっき聞き逃したけど、そもそも爵滋は何だって雑劇学院を調べているんだよ」

 強く詰問すると、楊爵滋は機械じみた動きで映写幕を見やった。

「実ハナ、俺ハ龍宮粥麺ッテ言ウトコロデ、贈リ物ヲ受ケ取ッタ人間ヲ見タンダゼ。ソイツハ雑劇学院ノ女生徒ダッタ」

「贈り物って差出人不明の? つまり、その女学生はこれからその差出人に誘拐なり殺人なりをされて失踪してしまうわけだ。待てよ、じゃあ爵滋はその女生徒を助けたくって唐淵明の資金なんか調べていたってことなのか? まるで正義の味方みたいに」

「ソレハ直接的ナ原因ジャアネエヨ。ソノ女生徒ハ普通ノ生徒トハ違ッテナ。──頭が南瓜ナンダヨ」

「──え」

「女生徒ノ名前は紅南瓜。モウ解ッテイルト思ウガ、御前ノ娘ナンダヨ。知リ合イノ娘ガ殺サレヨウトシテイルンダゼ? 無視デキルワケガナイダロウガ」

「お、己等に娘なんかいたのか?」

 葉頴達は銜えていた南瓜の蔕を落とした。楊爵滋が驚いている。蔕は床の金網を通り越し、漆黒に沈んだ。

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