WEB小説「憂鬱を育む蟲」~第二章、蚕で編まれた黄金1~

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 有名女優の写った切り抜き、建造物の見取図を張りつけたコルク製のクリップ板などで埋もれた壁面に、木製の時計が掛けられてある。時刻が午後四時を指し示した時、その掛け時計から鐘が鳴り響いた。

 雑劇学院の学長室である。鐘の音に重なって、鉛筆を紙面に滑らせる音が後背から聞こえてきた。葉頴達は何気なく後ろの事務机を見やる。そこでは、秘書の黎彗嫻が顰めっ面で依頼人のほうを眺めていた。傍らには人面鷹がいる。醜悪な顔面の三分の一を覆った電子眼鏡が、駆動音を立てて伸縮する。安物である人面鷹の目は特殊なのだ。少しでも光を当てられると、視力が零になってしまうので、この電子眼鏡によって視力を補っている。

「失踪事件の詳細については、取り敢えず後回しにしよう。まずは雑劇学院について説明して貰いたいんだがな」

 背凭れに体重を任せて余所見をしながら、葉頴達は依頼内容の続きを促した。安楽椅子に腰掛けた唐淵明は、そうですかと少し口籠もった後、こう語り始めた。

「では、まあ必要最低限の知識について話しておきましょうか。まずですな、演劇には大雑把に分けて二種類があるのです。新劇と旧劇がそれで、当学院では両方を扱っている。新劇というのは対話を核とした舞台演劇のことですな。一方、京劇で有名な旧劇の場合です。これは何かというと、要するに歌謡が中心の舞台なんですな。新劇は対話、旧劇は歌謡、この違いが解りますかな?」

「…………」

 直接は答えず、葉頴達は後ろを見遣った。人面鷹は無言で頷いた。その様子を見ながら、唐淵明は葉巻を噛みながら器用に苦笑する。

「ならば充分です。雑劇学院は新劇を扱っているのですが、まあ演劇そのものに関して話すべき事柄はこれで終了です。正直なところ、演劇に云々ついては私もよく解っていないのですがね。私は元々舞台演劇の俳優でも何でもないのですし」

「何だそれ、あんたは雑劇学院の幹部なんだろう?」

 演劇に詳しくなくて副学長なんてものが務まるのだろうか。そう思って葉頴達が口を挟むと、唐淵明が傲然と安楽椅子から立ちあがった。そして、大して広くもない事務所を、燻らせた葉巻の煙越しに見渡す。

「まあ、雑劇学院にも色々と事情がありましてな。演劇に関する講釈の代わりといっては何ですが、今度は私の理解している範囲内で雑劇学院の略歴を紹介しましょうか」

「──略歴かね」

「そう、略歴です。そもそもですな、この雑劇学院は、今のようにビルが無秩序に群立するようになる前の長嘯に設立された、大陸の伝統を受け継いだ由緒ある学校だったのですよ。大々的な広報活動を行い、意欲的な生徒と教員を大量に集めた。そしてそこからは多くの優秀な俳優が卒業して行き、その卒業生は今でも演劇関連の様々な分野で活躍している。舞台俳優は勿論、映画館や新聞記者の編集部、学問研究機関、芸術学校に入った者なんかもいる」

「──長々と、ただの自慢じゃないか」

 莫迦らしくなったのか、人面鷹がそんな風に嘯く。しかし唐淵明は全く意に介しない。どうやら予想通りの反応だったようだ。そのまま紅蓮の札が貼りつけられた窓へ凭れかけた。深紅の外套が黄昏色に染まる。窓に填ったその玻璃には薄汚れた長嘯の摩天楼が描出されていた。

「やはり自慢だと思うでしょうな。ところがです、こんなものは私の自尊心を支える何の役にも立ちはしないですよ」

 発言の主旨がよく解らないね、と、蹙眉して問い正そうとした人面鷹のことを、葉頴達は漆黒のスーツに包まれた右腕で制した。そのまま、樫材で出来た書架を興味深そうに眺める依頼人を見あげる。

「するとこういうことかな。あんた雑劇学院の正式な学長でもなく、きちんと演劇知識を持った幹部でさえもないから、雑劇学院の自慢点に何の価値も感じられないと」

「半分以上が正解ですな。で、その残りの半分未満なのですが、その自慢内容そのものが過去の逸話になってしまったのですよ。最初に断っておいたでしょう? 今語ったのは雑劇学院の略歴であって、現状とは異なるのですな。──ところで、絳桃星が独立したのは何年前でしたかな?」

「何故そんな話題を出したのかは解らないが、確か、それは数百年前のことじゃあなかったかな?」

 事務机の黎彗嫻が記憶を手繰るようにしてそう答えた。葉頴達も、錆びついた記憶の引き出しを開けようと試みる。そう、確か二八〇〇年頃のことだ。絳桃星は突然宇宙から孤立してしまったのだった。

 未だ、長嘯政府は他惑星との連絡を取ろうと試行錯誤しているらしいが、詳細な情報は全く民間へ降りてきていない。供給不足と言うよりは、全くの需要不足なのだ。葉頴達にとってもそうだが、それはもう風化してしまった旧世代の出来事でしかない。物心ついたときから、葉頴達の世界は絳桃星しかなかったのだ。

「絳桃星の孤立化は、数百年も前の事件だろう。今更そんな話を持ち出してどうしようって言うんだよ」

「絳桃星が独立したとき、それと同時に長嘯の治安が悪化しました。更にね。それ以来なのですよ、雑劇学院の輝かしい栄光が見る影もなくなったのは。教師の質も生徒の質も、何もかもが完璧に失墜した。私のような人間が幹部になれるわけです」

「珍しくもない話だ」

「施設そのものは一新されたのですがね。具体的にいえば、一昔前までは旧市街にある劇場が施設の全てだったのですが、数十年前に雑居ビルが建造された後は、すべてそこへ移転したのです。おっと、話が逸れてきたのでそろそろ軌道修正しましょうか」

 事務所の端に設けられた窓の前に立ったまま、唐淵明が紫煙を吐き出した。

「さっきの話の続きなのですが、私は元々雑劇学院の正式な学長じゃあなかったのですな。幹部といえば幹部だったが、教育には何の関与もしていなかった。本当の学長は戴友欄と言う男が務めていたのですな。雑劇学院のあるビルの管理人と兼任して。失踪した学長とは、即ちその戴友欄なのです」

「その失踪が契機で、副学長の椅子が都合よく転がり込んで来たというわけだ」

 茶碗で乾いた掌を暖めながら、葉頴達がそう皮肉った。勿論、これは自分の勝手な推測に過ぎない。しかしいわれた当人は皮肉と受け取ったようで、大層憤慨して窓を叩いてみせた。勿論釣金型の義手でである。

「都合よく、か。貴方のような口調で私を揶揄した人間が、一体何人いたか解らんですな。揶揄に留まらず、なかには私が学長に毒を盛ったのじゃあないかと因縁をつける者まで現れる始末です。いい迷惑です。私は肩書こそ副学長となっておりますが、実際に雑劇学院の運営をしているわけではない。実権は、新しくビルの管理人になった順桂芬と言う老人が持っているのです」

「順桂芬って確か、戴友蘭の舅のことだよな。結構な年齢らしいけど」

 確か、戴友蘭の嫁が順秀文で、その父親が順桂芬だったはずだ。葉頴達らが今日事前調査をする部屋には、この順桂芬が孫と二人暮らしをしている。

「その通りですよ。貴方の情報は正確だ。そうですな、もう少し失踪事件の詳細を知って貰いましょうか。まず私の知る限りではですが、今も言った学長の失踪がこの一連の事件の発端なのですな。戴友欄はある日突然、妻の順秀文ともども忽然と姿を眩ましてしまったのですよ」

「失踪した状況はどうだったのかね」

「戴夫妻の居住していたのは、ビルの最上階にある部屋でした。今日、龍脈公司に事前調査をしていただいた部屋ですな。三年前、ここには戴友蘭、妻の順秀文、舅の順桂芬、息子の戴夢周の四人が住んでおったのですが、ちょうどこの日は戴夢周と順桂芬が留守をしてましてな。どうも、孫の昆虫採集に祖父が付き添いをした形だったようです。帰宅したときには既に学長夫妻の姿は消えていたと。三年経過をしても未だに二人は失踪状態のままです。まあ、これ以上の詳細は直接順桂芬に尋ねて貰いたいのですがね」

 そこまで聞いて、葉頴達は何となく山高帽の鍔を摘んだ。この戴夫妻は親だけでなく子供まで残して失踪したという。おまけに部屋には争った痕跡があった。失踪と言うか、どう考えたって犯罪だろうと思った。

「それが発端と言うことはつまり、他にも失踪者がいるということでしょう? それは」

「そこの人面鷹が指摘した通り、次の失踪者が出たのはそれから一年後です。これは龍宮粥麺という学食の料理人の二人でした。今度は職場の同僚が同時に失踪したわけですな。この料理人の失踪を皮切りに、冗談じゃ済まされない人数の学院関係者が失踪していった」

「何人もって、おいおい、それだけの人間が失踪したとなると、警察は本格的な捜査を始めるんじゃあないのか? それで三年間手懸かりなしだなんて考えられないぞ」

 四四マグナム弾に絡みついた自分の唾液を椅子に躙りつけながら、葉頴達がそう指摘する。すると窓に凭れたまま、唐淵明が鋭角的な顎を突き出した。

「それが、元々この雑劇学院は厳しいことで有名でしてな。失踪者自体は昔からいたのですよ。だから明らかに異常な人数なのに、真摯に受け止めて貰えんのですな。一応長嘯警察は独りだけ刑事を寄越してきておりますが、年端のいかない若造ですし、形式に過ぎんと思いますな」

 唐淵明は肩を竦める。事務所の床から壁面に架けては、黄昏色をした四角形が映し出されていたのだが、この動きに併せて海賊の形をした影絵が身じろぎした。

「で、結局のところどうだったのですか郭先生。戴友蘭の部屋における風水は。やはり何か凶兆の兆しのようなものが?」

「凶兆かね。今度にでも順桂芬へ直接忠告をしておきたいのだが、あの部屋に住むのは止しておくのが賢明と思うがね。依頼なので細かい改善処置は執るが、どうしても根本的な問題解決は出来そうにない。無理なものは無理なのだ。今にも破滅をするぞ、あそこの祖父と孫は。戴友蘭の二の舞だ。いや、もうすでに兆しは見えているようだがね。あの胡蝶の部屋が何よりの証左だよ」

 意味深な言葉で脅しをかけた後、葉頴達は自分には関係がないがなといった素振りで首を竦めた。誰もが威圧をされて、暫くの間言葉を失ってしまう。風水事務所の所長が、手遅れだと名言をしてしまったのだ。しかし、いきなり匙を投げられて依頼者が納得できるはずもない。唐淵明は羽根つきの鍔長帽子を左右に振って抗弁した。

「あの、ですなあ。私が依頼したのは雑劇学院の風水を見、その上で尚かつ改善策を指し示して貰うことなのですよ。郭先生はまさか施設ごと移転をしろとでも言うのではないでしょうな。そんな現実離れした意見を聞くために、私は龍脈公司を訪れたわけではない」

「儂は最善の改善案を提示しただけなのだがね。まあいい、そちらさえ納得がいくのならば次善の方法で出来る範囲のことをするよ。そうだな、貴方の了承さえ得られるのなら、早速現場へ行って本格的な調査を開始したいのだがね。早いに越したことはない」

「早速ってまさか今から? もうそろそろ日が暮れるよ」

 人面鷹が呆れていた。処置なしと言って依頼人を突き放して置いて、大した間も置かず今度はすぐにでも仕事を開始するといい出したので当然だろうか。葉頴達はそれだけ事態が深刻だと判断したのだ。風水師の強引な決定には、唐淵明でさえも何だか呆れ気味である。

「そう驚くほどのことでもないだろう。そうだな、入手可能であればいいが、その雑居大廈の図面を見せて貰えると有り難いな。後、旧市街に残っている旧劇場とやら見る必要がありそうだぜ。うん、その両方の図面を用意しておいて貰いたいんだが、どうかな」

「図面ですか、それなら順桂芬に言えば手に入ると思いますが……。何ともはや、私はてっきり面倒な依頼だからと言って、断られるのかと思いましたよ。貴方は意外に勤勉な風水師なんですな」

 褒め言葉として受け止めておこう、と呟いて、葉頴達は立ちあがった。これで契約に関する事前説明は終わりとの合図である。それにしても、施設の広さから言って簡単な仕事ではない。つまりは超過勤務が決定されたわけだ。葉頴達は宇宙船に飼ってある大量の小鳥の世話を、誰に頼もうかと考え始めた。

「ふう、今日は早めに仕事が終わると思っていたんだけどね」

 唐淵明に出口へ案内されながら、人面鷹が溜息をついた。

「そんなに憂鬱な顔をしないで欲しいですな。さっきも話しましたが、雑劇学院は過去に明星を輩出しておりましてな、その繋がりで明星の胤が在籍していたりするのですよ。上手くすれば明星と会えるかも知れませんよ」

「本当かい? でも僕はそんな演劇関係の著名人なんて全く知らないからねえ」

「いや、恐らく誰でも知っている人だと思いますがね。ええと、名前は何といったかな。忘れてしまった。確か、ここにある雑劇学院の宣伝資料に写真が載って……」

 すると唐淵明は外套の懐から折れ曲がった冊子を取り出した。葉頴達も興味が沸いてきたので、黎彗嫻と一緒にそれを覗き込む。ああこれですな、と言って示された写真には、嘲笑う南瓜人が写っていた。

「──そ、それって、歌南瓜のことじゃあないか。物凄い大物明星だよ!」

 興奮した人面鷹の電子眼鏡が、同意を求めるようにしてこちらを見遣った。葉頴達は興味がなかったので答えなかった。何故か、異常に動揺している自分がいる。どうしようもなく、この依頼に対して嫌な予感がし始めた。

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