WEB小説「憂鬱を育む蟲」~第一章、皿に盛られた蒴果(さくか)3~

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 どこかから、電視の音だろうか、歌星の歌が漏れ聞こえている。黒人風のコーラスを従えて、主旋律を歌っているのは歌南瓜のようだ。難解な比喩を駆使した歌詞には、情感が思う存分込められている。この倍音の効いたビブラートが掻き消されたのは突然だった。前触れなく、轟音が風水師の鼓膜を叩く。大気が鳴動し、高圧線が上下に大きく跳ねあがった。

 何事だろうと中空を仰げば、畸形的なまでに高いビルの固まりがそこにある。土地面積の狭い長嘯故の高さだろうか。高層ビルの隙間から見える天空は細く狭い。そこに、煌びやかに光輝を放つ個人用小型宇宙船の腹が滑り込んできた。機体にペイントされた銀杯の印章から、『企業』の人間のようだと判る。こんな辺鄙な惑星に一体何の用があるのだろうか。

 ──人のことは言えないか。

 分厚く雨雲に塗られた空は、今すぐにも天蓋が抜けそうな様相である。絳桃星へと降り立った頴達は、暫く放心したように空を見あげ、首が痛くなったので視線をおろした。あとで雨の汚染度について調べておかないとなと、そんなことを考えながら前を見た。視界が異常に狭い。今いる道幅が一米突(メートル)足らずしかないのだ。

 脇にある下水管から、強烈な腐臭が漂っている。その空中歩廊は木漏れ日を受けた色に染まっていた。ビルから捨てられた塵が、頭上すれすれを走る配管を覆い尽くしているからだ。とても地上七〇〇メートルにおける光景とは思えなかった。

「──いい加減、もう少しましな献体に買い換えてくれないかな」

 頴達が何も考えず黙然と歩を進めていると、肩にとまっていた人面鷹が電子眼鏡越しの視線をこちらへ寄越して来た。

「こんな醜い姿はいい加減うんざりだよ」

「何がうんざりだ。いい加減しつこいぞ、AIの癖に贅沢をいうんじゃない。見栄えなんかよりも実用性、耐久性だけ気にしていりゃあいいんだよ。俺は御前の虚栄心を満足させる方法に心を悩ます程、暇なわけでも懐の余裕があるわけでもないんだぜ」

 湿った壁面に手を着きながら、頴達は思いつく限りの罵声を浴びせかけた。絳桃星について早々、機嫌はよくない。龍脈公司にいいように使われて続けている自分のことを思い、憂鬱な気分が未だ払拭できずにいた。

 龍脈公司とは、いわゆる風水捜査研究所のことである。『連邦』司法省の直属機関・科学捜査研究所から、枝分かれをして設立がなされた。時代の変遷と共に、風水を悪用した狡猾な犯罪が増えはじめている。龍脈公司は犯罪研究のほうを本業としているが、実際にこういった特殊犯罪が起これば専門家を動員して現場支援に当たったりもした。

 頴達が所属しているのは、このなかでも一際辺境に設けられた弱小支部である。事務員は少なく、鵬挙によって一切合切が取り仕切られていた。頴達は、この偏屈な老人と契約を結ぶ代償として龍脈公司の一員となった。当時は利害が一致したと考えていたが、その約定が本当に果たされるのか、疑念はぬぐいきれないものがある。

 ──全く。やってられないな。

 往生際の悪い人面鷹が、頭上の配管から垂れた正体不明の水滴を避けながら喚き散らしている。それを聞き流しながら、頴達は斜め右前方に現れた高層ビルを見あげた。頭上の配線に遮られて殆ど見えはしないが、二百十一階にある磨り硝子には「さわやか薄命亭」の名が記されてあるはずだ。

 頴達はその高層ビルの中腹に近づいて、空中歩廊用に設けられた玄関の前に立った。

 見れば、犯罪防止用に鉄格子仕立てにした門扉に、郵便箱が針金で幾つも絡められている。その赤茶けた格子越しに、暗がりの階段が覗いていた。電飾に彩られた立て看板には、賭博場の文字が踊っている。所持金、そして休暇を奪われたことへの不満を思った瞬間、軽いとはいえない誘惑を覚えた。

 ──どうせ案内人との待ち合わせまで時間が余っているしな。

 そう考えた時には、すでに鉄格子を開けて階段を降りていた。じとじとしたその空間を降りきると、眼前を遮るようにして鋼鉄の門扉が現れる。門扉には硝子製の覗き窓が備えつけられていた。それが耳障りな金属音を立てて開かれる。血走った双眸がそこに浮かびあがり、こちらを睨みつけながら誰だ、といきなり誰何した。

「客だよ。なんだ物々しい、ここは会員制なのか? だったら非礼を詫びても構わないが?」

「いや、会員制ではないが……」

 硝子の双眸が、まるで値踏みするかのように細められた。どうやら素性を疑っているようだ。無理もないだろう。独立国家において、いかにも役員然とした人間はなにかと目立つ。もう少し説明を追加しようとした瞬間に、ちょっと待てと吐き捨て覗き戸が乱暴に閉じられる。異常な剣幕だなあ、と頴達は失笑した。

 待つ間することもないので所在なく薄暗い周辺を見渡す。玄関へ昇った階段が後背にあり、その壁面は風俗関係の貼紙(ポスター)によって殆どが塗り潰されていた。

 暫くすると閂が開けられる音がして、門扉が開かれた。その隙間から、頭と双眸の大きな小男が睨めつけてきた。恐らくは先の門番なのだろう。促されるまま室内へ入ると、大広間の喧騒が聴覚神経を包み込んできた。吹き抜け構造になっている。

 まず視界に入ってくるのは競技賭博の会場である。何故かといえば設備が大掛かりで目立つからだ。ここには野球(ベースボール)、籠球(バスケットボール)、拳闘(ボクシング)、庭球(テニス)、蹴球(サッカー)などの実況中継用の立体画面が十面と、配当倍率(オッズ)を表示した電光掲示板とが設置されている。

 競技賭博の他にも、この賭博場には賽子(クラップス)の会場などがある。西洋歌留多には定番どころのポーカー、BJ、バカラの三種類が用意されており、キーノやビンゴなどの籤賭博、自動賭博機(スロット・マシン)だって一応はあるようだ。そのなかでも殊更に盛りあがっているのは回転盤(ルーレット)の会場である。

 頴達は一通りこの賭博場を眺めやった後、門扉付近にある受付所を見た。すると先ほどの小男が、疑り深い目つきでこちらを睨めつけている。その視線は頴達の肩の高さに注がれていた。頴達は気づかない振りをしてその場を離れる。

「──何だか、あの人こっちを睨んでないかい」

「拳銃を忍ばせた役員に、自分の店を彷徨かれるのが気にくわないんだろうぜ」

「拳銃か。前々から疑問に思っていたんだけど、頴達のその連発式拳銃(リボルバー)って今時珍しくはないかい……? 自動拳銃(オートマチック)ならともかく……懐古主義的だよね」

「おいおい言ってくれるじゃあないか。これは俺のただの好みかもしれんが、自動拳銃ってのは意外と面倒臭いんだぜ。油断をしていると、すぐに排夾や装填の調子がおかしくなってしまうんだ。弾や弾倉(シリンダー)上端部の形状異常とか、弾の火薬不良による瓦斯(ガス)圧不足とかが原因なんだけどな」

「要するに手入れを怠ってるんでしょう。自分のせいじゃないか」

 いちいち、癇に障ることばかりをいうAIである。不快感を木彫り人形の顔に出さないようにしながら、そうかもな、と頴達は手近の机にあった呼び鈴を弄んだ。

「でもさあ、一度調子が狂うと御終いの自動拳銃と違って、連発式拳銃ってのは不発の時でももう一度撃ち直せば次弾を金槌(ハンマー)が叩くだろう。マガジンと違って弾込めに時間がかかるのは不便だけどな、俺は銃撃戦でもしない限りは断然便利だと思うぜ」

 頴達が自尊心を守るため、精一杯の反論を試みたときである。賭博場特有の、熱に浮かされたような喧噪のなかから、一際大きなどよめきが起こった。振り返るとそれは回転盤の会場である。そこでは多くの見物人(ギャラリー)に囲まれて、ディーラーが顔面に渋面を浮かべていた。そしてその真向かいに、対照的に余裕の表情を浮かべている若者の姿がある。

 若者はポロシャツ、ジーンズに運動靴(スニーカー)といった質素な格好をしていた。黒頭巾(フード)を被っている以外に、これといった印象に残るところがない。

 頴達は好奇心の赴くまま群衆に歩み寄り、その合間から回転盤を置いた卓上を覗き込んだ。回転盤(ウィル)に賭ける方法は千差万別だった。基本的には、黒(ブラック)か赤(レッド)、奇数(オッド)か偶数(イーブン)、前半(ロウ)か後半(ハイ)を当てる二者択一方式がある。それだけならいいのだが、一st十二、二nd十二、三rd十二といった特殊形や、枠賭けなどまであるからややこしい。

 この回転板を前にして、若者が動いたのは、ディーラーによって球投入五秒前が宣告なされた時だった。五千枚はある黒硬貨を、全て前半枠に賭けてしまう。その無造作な賭け方に対して頴達は息を飲む。黒硬貨は一枚で百連邦弗(ドル)だ。尋常な額ではない。この人集りの正体はこれだ。

 ディーラーは素早く打算を巡らす表情をした。それも当然だろう。仮にこの勝負の結果、一―十八番のいずれかが出れば若者の勝ちになる。店側からすれば百万連邦弗もの損失だ。しかし逆にいえば、これを負かすことができれば、若者にやられたであろう五十万連邦弗の損失をまるまる取り返せることになる。

 大抵のディーラーは己の伎倆(テクニック)に自信をもっており、顧客を小莫迦にした態度が滲みでている。頴達は、賭博場が必ず勝つように出来ていることを知っていたので、度し難い連中だと軽蔑していた。狙いを充分定め、回転盤に球を投げ込んだこのディーラーも、大勝負にたいしてほどよい緊張感を感じている様子である。狙うのは若者の賭けた前半以外、つまり十九―三十八番のどれかだろう。

 基本的に、回転盤というものは木製で四本の脚をもっている。だいたいの賭博場は水平器を使うことによって、日毎この脚の高低を調節していた。球は高所から低所へ行く間だと流されやすく、逆に低所から高所へ行く間では流されにくく綺麗に落ちる。一般的に、ディーラーというものは脚の高低を頭に入れた上でこの法則を利用するのだ。

 球は外側を十六から二十周した後、弾かれて内側に墜ちた。暫くは回転盤の数字の上を跳ね躍る。そうして転がって躓いた最後の数字は十一番だった。頴達は瞠目する。前半枠。若者の勝ちだ。ディーラーの表情が蒼白になっていた。

 ありえない結果に驚いたまま回転盤をよく見てみた時、頴達は心の中で声をあげた。脚に、硬貨が一枚挟まっているではないか。回転盤の高低が逆転していた。

 如何様じゃないか。ディーラー本人も少し遅れてそれに気がついたようだが、青ざめた表情のまま微動だにしない。なるほど、如何様を指摘すれば、賭博場側の根本的な不正が露呈してしまうわけだ。

 若者はその配り手を正視しながら冷笑を浮かべていた。白粉を塗りたっくった京劇俳優のような顔の、頬紅と唇紅が歪んでいる。気味の悪い微笑を紅唇に湛えつつ、倍増した黒硬貨を掻き集めていく。台の端に備えつけられたポケットにそれを全て流し込み、携帯端末にその金額を記録させた。

 頴達が唖然としてその様子を見つめていたとき、若者はジーンズの隠し(ポケット)に右手を突っ込んで何かを探し始めた。そこから、紙巻きの麻薬が取りだされると同時に記章が零れ落ちる。その記章に『企業』製薬事業部部長、廬応京(ろおうけい)とあった。

 それをみた瞬間、頴達の頭に血が上った。何故、こんなところに『企業』の人間がいるのだ。

 ──そうか。さっき空中歩廊で見た『企業』の船は。

 やはり、鵬挙がわけもなくこんなところへ出向させるわけがなかったのだ。そこである考えが閃いた。そのまま手首の端末を操作し、時間を確認する。そして高揚してゆく気分を噛み締めながら、頴達は懐から拳銃を取りだした。

 木製の握り(グリップ)を持つと、ずしりと手首に重い。銃身が銀色の光輝を放っていた。連発式拳銃の黒鷹(ブラック・ホーク)である。それを帯革(ベルト)の間に突っ込み、もう一度回転板を見やると目当ての姿が消え去っていた。すこし慌てて周辺を眺め渡し、賭博場の一郭にある酒場でそれをみつけた。

 そこでは備えつけの安楽椅子に腰かけて、若者、応京が機嫌よさげに杯へ口をつけていた。杯に注がれていたのは珊瑚酒(コーラル)だ。あれは白糖酒(ホワイトラム)が三、杏子抜蘭地(アプリコットブランデー)が一、西柚汁(グレープフルーツジュース)が一、檸檬汁(レモンジュース)が一の割合で攪拌(シェイク)された混合酒である。杏子や柑橘類の風味が甘酸っぱさを含んでいた。

 頴達は、その向かいの安楽椅子に座った。腕を机上の左端に置き、そのまま右端まで移動させる。当然ながら、机上にあった灰皿や花瓶、蝶鮫卵(キャビア)とクラッカーを盛った皿が押し流され、床にむかって転落していった。破壊音が響く。その一連の動作の後、頴達は応京を見やって勝負だ、といった。

「しょ、勝負って──」

 一瞬狼狽していた応京だが、すぐに一転して歪んだ笑みを浮かべた。子供ぽい仕草で姿勢を改める。

「賭博ですね? いいですよ、ちょうど今暇を持て余していたところだったんです。西洋歌留多? 回転盤? あんたの得意なものでかまいませんよ」

「ちょいと待ちなよ。そんな普通の賭博じゃあ面白味がないぞ。退屈過ぎる。そうだろう?」

 いいながら、頴達は懐にしまっていた拳銃を取りだした。弾倉を開けて五発の銃弾を抜き、それを卓上に整然と並べる。断層には一発が残った。連発式拳銃の装弾数には四から十一発まであるが、現在信頼性が高い装弾数は五か六発だ。応京はそれを見ているうちに、馬鹿のように口を開けた。そして正気を疑うようにこちらを窺ってくる。

「──これは」

「廬応京、……廬応京であっているよな? 御前さんが今考えている通りさ。賭けにはこの拳銃を使う。順番を決め、まず先行が相手に撃ってもらうんだ。自分で自分の顳(こめかみ)を狙うよりも、そのほうが双方に緊張感があっていいだろう? 撃たれる回数は何回までも、撃たれる側が自分で決定出来る。そこが駆け引きになるわけだ。つまるところこれは、死ぬか避けるかをしたら負けの、ラシアンルーレットだぜ。賭け金はその百万連邦弗だ。俺が負けたら船をやるよ。どうだ、面白そうだろう……」

 頴達は薄笑い浮かべて、黒頭巾を被った会社員を殊更に挑発してみせた。肩で、勝手に母体を担保にされた人面鷹が憤慨しているが、それを無視し、弾倉を開けた状態の黒鷹を応京の目の前に放り投げた。そのまま立ちあがり、何処で勝負をするかなと賭博場を物色し始めた。

「──いいですよ、面白い」

 応京の声が聞こえた。振り返ると、白皙の肌が心持ち上気している。手元で握られた連発式拳銃、その弾倉が閉じていた。親指でそれを回転させ、ゆっくりと確かめるように安全装置を解除する。頴達は会心の笑みを漏らした。

「あんた、一体誰なんです……」

 葉頴達だよ、そう短くいって山高帽を被り直す。いつの間にだろうか、憂鬱な気分は霧散していた。

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