WEB小説「憂鬱を育む蟲」~第一章、皿に盛られた蒴果(さくか)2~

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 南瓜女がそこに東洋庭園が佇んでいるのに気がついたのは、ふとした拍子に前方を眺めやったその時だった。

 一体何の演出だろうかと思ってもう一度よく見直してみると、くすんだ煉瓦塀がその庭園を取り囲んで建てられているのが段々解ってくる。その煉瓦塀の一方には朱塗りの門扉が聳え立っていた。どうやらこの門扉を潜ると街路に出るようだ。

 時代錯誤だなと思いつつ、南瓜女は今度はこの門扉から視線を転じてみる。すると敷き詰められた石畳の脇、一面に百花が繚乱と咲き乱れているのが何とも美しかった。蒼穹に浮かびあがった太陽の陽光が、燦々とこの花々を照らし出している。

 この庭園へ、しとしとと桃色の花弁が降り注いでいるのは何故だろうか。庭園の美しさも相俟って、何やら夢幻の雰囲気をその花弁は醸し出していた。さてこの花弁は何処から来たものかと首を巡らせると、庭園の端に桃の樹が聳立しているのを発見する。そこで奇妙な違和感を感じた。

 樹齢百年はとうに越しているであろうこの大樹の下に、運動着(ジャージ)の上から漆黒の外套を羽織った女性が佇んでいたのだ。小柄な身体に乗せられたその頭は、まるで万聖節(ハロウィーン)の南瓜のような形をしていた。

 万聖節(ハロウィーン)の南瓜は、空洞にした南瓜のなかに蝋燭を灯したものだ。その明かり取りのために、恐ろしげな顔を模した穴が刳り抜いてあった。

 この異形の姿が歪んだのは突然だった。断末魔の声をあげるようにして明滅し、次の瞬間灰色の砂嵐によって画面全体が覆い尽くされる。そして結局、何も見えなくなった……。

 ──まただわ。

 凝縮されていた意識がそれを契機に拡散し、静止していた時間が突然動き出したかのように店内の喧噪が聞こえ始める。南瓜女は心中で溜息をついた。

 歌番組の再放送を流していたホロテレビジョンの映像が、突然不鮮明になったのだ。そうかと思って様子を伺っていると、何の前触れもなしに映像が回復したりする。要するに不安定なのだ。店舗の隅、使い古された椅子へ無造作に設置されたその装置は、旧式の代物である。

 今、この装置に映し出されていた南瓜人は、あれでも有名な芸能人だった。絳桃人からは何の捻りもなく歌う南瓜と呼ばれている。選美(ミス・コン)で優勝したのが芸能界入りの契機だ。

 絳桃星の選美といえば、視聴率が七十を越えるほどの関心が払われる、いってみれば一種の国家行事だ。この選美には大規模なもので二種類がある。これはそれぞれ電視台が主催しているもので、歌う南瓜はこのうち東洋電視台が主催する中華小姐で優勝した。ここで優勝の決め手となったのが、あの異彩を放つ南瓜頭である。

 中華小姐の優勝者が辿る道は様々だ。芸能界入りをしない者も大勢いるし、いつの間にかⅢ級(ポルノ)女優になった者も結構いる。歌う南瓜は歌星となった。

 しかし、黒社会との関係性が取り沙汰され出した途端に、この歌う南瓜は逃げるようにして芸能界から消えてしまった。だからあの東洋庭園の映像は再放送であり、明星(アイドル)は電視台と専属契約をするので東洋電視台の保有していたVTRである。

 その繰り返し不安定になる映像を見ていると、終いに既視感(デジャ・ヴュ)を感じはじめた。その停滞感に我慢出来なくなって視線を逸らした南瓜女は、漆黒の学生服を着、大きめの腕時計を填めて大きめの木靴を履いている。その頭は南瓜だった。電視に映っていた歌星と同じ、南瓜人である。御年十七歳だった。

 今、南瓜女はいつ果てるとも知れない長蛇の列に並んでいる。午後十二時半といえば、まさに掻き入れ時の全盛期だ。店内は異常な人口密度の高さで、どこを向いても人ばかりが蠢いていた。これらは殆どが国立雑劇学院の生徒である。ここはその雑劇学院がある雑居ビルの大衆食堂だ。階数は百二十三階。店の屋号を龍宮粥麺(りゅうぐうかゆめん)という。

 龍宮粥麺の内装は雑然としていた。窮屈な店舗内に、机が何脚も置いてある。そこには無数の学生が屯し、机上には食器や調味料が所狭しと並べられていた。壁面には料理人の家族写真らしきものが何枚か貼られていて、他には貧相な額縁に入れられた花鳥風月の絵画が飾られている。

 喧騒が矢鱈と五月蠅かった。南瓜女は人混みが大嫌いだ。どうしてこんな時間にきてしまったのだろうと、ここ数日毎日のようにしている後悔を鬱屈と繰り返しながら、黄色の献立画面を虹彩でなぞった。献立画面には墨書風のフォントで、麺が五品と粥が八品表示してある。

『炒麺(ツァウミン)、鮮蝦雲呑麺(シンハーワンタンミン)、湯麺(トンミン)、撈麺(ロウミン)、河粉(ホーファン)、米粉(マイファン)、皮蛋痩肉粥(ペイダーンサウヨッヅォッ)、牛肉粥(ンガウヨッヅォッ)、肉丸粥(ヨッユンヅォッ)、牛丸粥(ンガウユンヅォッ)、猪潤粥(ヂューユンヅォッ)、及第粥(カップダイヅォッ)、鮑片粥(バーウピンヅォッ)、魚片粥(ユーピンヅォッ)……』

 この献立画面からも解るように、龍宮粥麺という店は粥麺専家(ヅォッミンヅュンガー)だった。粥麺専家とはそのままの意味で、粥と麺の専門料理店のことだ。絳桃星の朝食といえば粥である。その謳い文句を掲げ、この店は朝に粥、昼から麺を始めていた。

 南瓜女が列に並んでいるのは、龍宮粥麺が食券制度を取っているからだ。もう十五分近くは並び続けているので、漸くの思いをして窓口に食券を出した時は流石に疲労を感じていた。

 食券は湯麺を三枚ずつ購買している。湯麺とは汁つきの細麺のことだ。そして手元に差し出された三皿の湯麺へ黒胡椒を振りかけながら、南瓜女は窓口の向こうの厨房を眺めた。

 薄汚いその厨房は、翠玉色をした光源の中に揺蕩っているように見えた。流し台には洗いものの食器が堆く積載されている。タイルの貼られた壁面には巨大な調理道具が並んで吊されていた。

 この狭い厨房を精一杯動き回っているのは何人もの料理人だ。その一郭の食器棚に、奇妙なものを見つけた。何の御利益があるのかは知らないが、年代物の巨大な壺が大事そうに祀られてあるのだ。

 舞いあがった黒胡椒で鼻がむず痒い。嚔が出そうだ。南瓜女は食器を持ちあげながら、更に厨房の奥を眺めやる。そこでは、料理長らしき人物が中華鍋を使って蕎麦を炒めていた。

 空中を踊った蕎麦と野菜が、着地点において綺麗に混ざり合う。流石に慣れた手つきで、動作の一つ一つに澱みがない。その容貌は角度の関係で伺えなかった。

「おいおい──もしかして南瓜女の昼食はそれだけなのかい?」

 南瓜頭を巡らし、毎回使っている特等席を確認しようとしたとき、唐突にその声は聞こえてきた。振り向くと、雑踏のなかで上級生が立っている。南瓜女の盆から一皿勝手に抜き取って、それを矯めつ眇めつしていた。それを見て萎縮する。

 上級生の服飾は、まるで旧世紀の欧羅巴紳士(ジェントリ)のような時代がかった代物だった。しかし体型が矮躯で太った亜細亜系の典型だったから、様にならないこと甚だしい。鼻梁だけが妙に立派なのが滑稽だ。立派というか、おかしな具合に長かった。

 この上級生は鑑文升(かんぶんしょう)といった。

「ちょっと……文升。その湯麺は」

「堅いことはいいっこなしだろう。南瓜女だって真面目に並ぶのは要領の悪い人間がすればいいと思うだろうに。ふははっ。それに何だいそれは、同じ種類の麺しかないじゃあないか。しかも大盛り三人前などよく食べれるね。栄養が偏りすぎだし、そもそも粥麺専家なのだから粥も食べたまえ」

 開口一番、文升は頼まれもしないのに、人の嗜好を非難してきた。南瓜女は歯噛みする。一体何様のつもりなのだろう。文升はこうやって、ことあるごとに要領の悪い人間を見下して優越感に浸ろうとする。そもそも南瓜女はこの気障な喋り方が大嫌いだった。

 麺ばかりといったって、そんなのは人の勝手ではないか。南瓜女が最近この店舗に拘泥しているのには理由がある。それは麺だ。何故か最近、四六時中を問わず無性に麺が食べたくなるのである。食べなかった時は一日中憂鬱になるほどだ。

「どちらにせよ、それは偏食しすぎだね。粥を食べたら嗜好が戻るんじゃあないのかな」

「──そんな精神論で嗜好が代わるわけがない」

 独白した瞬間、南瓜の精神は前触れなく落ち込んだ。結局条件反射のように文升の相手をしてしまった自分に対してである。

「ところで、南瓜女は龍宮粥麺の噂を知っているかな」

 南瓜女が不快がっているのを解っていながら、文升は更に話題を変えた。何となく予想がつくが、結局最初からその噂話を吹聴して回りたかっただけなのだろう。

「何なのよ噂って……」

「知らないのかい? あい変わらず疎いな南瓜女は。いいかい、この龍宮粥麺の厨房で、異端の儀式が行われているようなんだ。最近、学長夫妻が失踪したり、雑劇学院の内部で失踪者が流行していたりして、何かと物騒だろう? この一連の事件はこれに関係があるらしいのさ」

「──そんなの」

 単なる荒唐無稽な噂じゃないか。よくもそんな眉唾を真に受けたものだ。

「厨房では怪しげな霊薬が製造されていて、その霊薬を使うと屍体が蘇るという話だ。深夜に僵屍(キョンシー)、つまり蘇生屍(ゾンビー)が彷徨いていたのを見たっていう者が何人もいるんだよ」

「何人もって何人が?」

「何人もさ。それに僕は実際、深夜の龍宮粥麺に忍び込んで確かめたんだ。こう、鎧戸の中途半端に空いた透き間から入ってね、勘定台の陰に隠れれば厨房からは死角になっている。──それで出た結論さ、あの料理長は妖しい」

「忍び込んだって……」

 そうだよ、と文升は何故か胸郭を反らした。漆黒の紳士帽子(シルクハット)がずれるのを見遣りながら、南瓜女は少しだけ蹙眉する。

「──そんなの不法侵入じゃない」

「おいおい監視していただけだよ? そんなことで罪になるものか。それは兎も角だね、確かに厨房で、料理長が篭もりきりで何かやってるみたいなんだ。僕が見たところ、五日間ずっと厨房に寝泊まりしているようだね」

 五日間もそんな風にして忍び込んだのか。南瓜女は驚き呆れてそう呟いた。文升は何て物見高いのだろう。げんなりしながらも、漸く開いた特等席に盆を置いた。椅子を引いてそこに座る。文升は、君ねえとぼやきながら、勝手に向かいの椅子に着席した。南瓜女にとってここが特等席なのは、店舗の隅に立地していて、まわりに煩わしい学生がいないからだが、これでは意味がない。

「驚くのはそことは違うだろうに。二十四時間中、五日間合わせて合計百二十時間も厨房に寝泊まりしているんだよ? 異様じゃあないか」

「それって、翌日の料理を仕込んでいただけじゃないの? 何処を見たら不老長寿の霊薬を調合しているってことになるのよ」

「あのね、勘違いしているようだからいっておくけれども、僕も最初からそんな眉唾を信じたわけではないのだよ。それが確信に変貌したのは三日前さ。三日前、僕は料理長に見つかりそうになったんだ。その時彼は中華包丁を持っていた。旨く遣り過ごしたけど、殺そうとしたんだよ? 尋常ではないよ」

 ──何だそれは。

 南瓜女は失望の果てに、食器の麺へと視線を落とした。中華包丁を持って出てきただけではないか。殺意などあるわけがない。

 そもそもこの話自体に無理がある。まず、失踪事件と僵屍の噂があった。その裏を、文升は厨房で深夜、料理長が中華包丁を使って調理していただけで全部取れたといっているのである。

 馬鹿じゃないのか、と呟いた時である。隣席の椅子が寄せられた。南瓜女が反射的に隣を仰ぐと、そこに見慣れない男がいた。

 男は缶記章をべたべたと貼りつけた紫紺の外套を羽織り、何故か知らないが底上げ長靴を履いている。ざんばら髪の上には銀色のヘルメットを被り、装着したゴーグル越しに双眸を忙しなくぎょろつかせていた。

 何だか派手な格好である。浅黒い肌を見るに印度系なのだろうか。対人恐怖症の気がある南瓜女は咄嗟に視線を逸らす。文升が何の用だと誰何すると、その壮年が奇妙な所作をして外套の缶記章を揺らせた。がちゃがちゃと喧しい。

「モシカシテアンタ、南瓜ナノカイ?」

 何だ、この不自然際まりのない片言は。不審げに見返した二人の雑劇学院生に対し、壮年は勢いよく何度も頷いた。その動きも何だか相当にぎこちないものだ。

「ソウカ、矢ッ張リソウナンダナ! イヤ、俺モコノ龍宮粥麺ニハ古イツモリダッタンダガ、初メテ尊顔ヲ拝見シタぜ。御前ハ──アノ歌ウ南瓜ノ子供ナンダロウ?」

「────」

 机上に置いた湯麺が冷めてしまうのを気にしながらも、南瓜女は思わず押し黙ってしまった。それは壮年がいった内容が出鱈目だったからではなく、紛れもない真実だったからである。

「──誰なんだい君は。何で南瓜女の名前を知っている」

 野生動物のように歯を剥き出して、文升がそういった。

「オイオイ、ソンナニ警戒スルンジャネェヨ。ドウミタッテ南瓜人ナンダカラ、全盛期ノ歌ウ南瓜ヲ知ッテイル人間ニハ誰ダッテテスグニ解ルニ決マッテルダロウガ! 名前ハねっとヲ見リャア一目瞭然ダ。──デダナ」

 壮年はそういって、一口自分の茶を啜った。それは壽眉(サウメイ)という芳香のする弱醗酵茶である。乾燥させた黄菊の花を軽浮させているので菊壽(ゴッポー)とも呼ぶ。

「申シ遅レチマッタガ、俺ノ名前ハすぐりーう゛ぁッテイウンダゼ。コノ雑居びるノ近クデ発明家ヲヤッテイル。オット、喋リ方ガ変ナノハ気ニシナイデクレ! 此処ダケノ話、実ハ俺ノ身体ハ人間ジャアナインダゼ。機械人形(あんどろいど)ナンダヨ」

「はあ?」

 南瓜女は惚けた声をあげた。何なんだ、機械人形って。ここまで精緻に人間を模した機械人形など見たことがない。すると文升が漆黒の長箸でスグリーヴァの浅黒い顔を指差した。

「ああもう、苛々させる男だね君は。そういった自己紹介なんかはどうでもよいんだよ。その機械人形が一体僕等に何の用があるのさ」

「勝手ナ野郎ダナ。テメエガ誰ダッテ聞イタカラ、ワザワザ答エテヤッタンダゼ!」

「ああ……それもそうか」

 南瓜女が思わずそう相槌を打ってしまうと、案の定文升が睨んできた。スグリーヴァはそれに気づかない様子で腕組みをする。

「マアイイ、話ガ逸レチマッタ。俺ノ用事ッテノハナ、実ハ俺ノモノジャアネェンダゼ。ソッチノ小姐ヘノ預カリモノガアルンダ」

 え、と呟いて南瓜女は初めてスグリーヴァの目を見た。そしてすぐに逸らす。南瓜女は、龍宮粥麺にきたことを少し後悔し始めていた。

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