WEB小説「憂鬱を育む蟲」~第一章、皿に盛られた蒴果(さくか)1~

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 ──頴達が不審な悲鳴を聞きつけた瞬間から、時を一週間ほど遡り、場所を一万光年ほど離れたところへ話は変わる。

 輪郭が曖昧になるほど強い赤で照らされて、そこには通路が延びていた。通路の床一面には配線の束が這い回っている。配線は規格が統一されておらず、なかには剥き出しのままのものまであった。その傍ら、証明に赤く染まった窓では、夜光虫のように星々が煌めいている。

 宇宙船アムリタ号は、老朽化し、今にも分解してしまいそうな巨体を宇宙空間に浮かべていた。遠くで瞬いているのは、辺境B777地区の恒星である。

 この船の通路奥には、門神の描かれた、ひとつの鉄門がはめ込んであった。門神とは中華系の古い風習で、家宅の守護神のことをこう呼ぶ。その、生前は京劇俳優であった絵姿の向こうに、アムリタ号の艦橋は設けられていた。艦橋にはちょうど人間一人が入れるような空間しかない。

 その空間を圧迫するように取り囲んでいるのは、立体画面や操作盤のような端末、それから埋め込み型の電脳などの集合体である。立体画面には高速で処理されていく数字と、この宙域の海図が映されていた。設備はあとから無計画に拡張された部分が多く、床には廊下同様配線がまるで羊歯のように張り巡らされている。

 この艦橋の中空に、鉛色の銃身がすらりと伸びた。

 そこに山高帽を被った壮年の顔が映る。壮年は木製の握りを掌握したまま、この連発式拳銃(リボルバー)から四四マグナム弾を取りだした。弾倉を閉じ、安全装置をかけ、固定された引金をつまらなそうに引きはじめる。

「ちょいと──危ないから止しなよ」

 艦橋へ、AIの人工的に創られた声が響く。弾を手放し、頴達はそれでも面白くなさそうに引金を引いた。手元を離れた四四マグナム弾は、無重力空間のなかをゆっくりと浮かびあがっていく。

「ねえ、聞いているの……。可燃物を船内に持ち込まないでくれないかな。頴達が変な自殺願望を持とうが興味はないけどね、船を道連れにするのだけは勘弁して欲しいな」

「……ちっ。いちいち五月蠅い奴だぜ、自己保存のことしか頭にないのかよ御前は」

 頴達は、左上の画面を無視しながらそう呟く。表示されているのは、CGで描写された人面鷹だ。今、この躁気質のあるAIの相手をするのは億劫でならない。薬を使って一週間は睡眠を省略していたが、さすがに限界だ。疲労で焦点の定まらない視界のなかには、電脳式の羅経盤があった。龍脈公司からの支給品である。

 龍脈公司はここら一帯の龍脈経路把握を目的としているようで、頴達はそのためにかなりの期間艦内に縛られていた。もう数カ月以上碌に人と会話をしていない。艦船の電脳に移植した人格だけが、狂気が溢れだす唯一の防波堤となっている。

 ──やれやれだ。

 これが最後の仕上げだと、頴達は拳銃を手離した。操作盤を操り、室内に広がる立体画面を眺めやる。天体図を映しだしていた箇所に、罅が入るようにして微細な網目模様が浮かびあがった。恒星と惑星との重力の相互影響、宙域の磁力などの環境要因を交えて演算処理をし、この龍脈網のなかにある龍穴、つまり時空裂の位置を特定するのである。

 通称『風水学』は、昨今急速に台頭してきた学問である。第二宇宙の登場によって、既存の物理学は否応なく発想の転換を迫られた。そして新たな説明体系の一つとして出てきた理論が、ちょうど風水学の仕組みに合致したのだ。無論全てが符合したわけではなく、この見立てはあくまで俗説的に広まったものだ。

 網膜に蜜柑色の模様を映り込ませ、頴達が風水見へ没頭しはじめたときである。操作盤から乾いた呼び出し音が木霊した。頴達は集中を遮られた苛立ちもあって、強く舌打ちをした。そのまま視線を移した画面の端に、陰陽と龍を組み合わせた印章が示されている。その印章を認識して不快感はいや増した。基盤の剥き出しになった天井を仰ぎ、きつく目を閉じる。

「──頴達……」

「……解っているよ。くそっ。鵬挙(ほうきょ)め、一ヶ月強もほったらかしにしておいて、今更なんの用なんだ」

 おおよその当てはついていた。だからこそ、鉛を飲んだような重たさと冷たさが体の芯を蝕み始めている。その感覚を遠くに感じながら、頴達はAIに通信回線を開かせた。

 ほどなく立体画面の中央に、圧迫感を覚えるほど狭くて、立方体の形に窄まった、とある小部屋が映った。小部屋はコンクリート製で、その表面は黒く滑っていた。部屋の光源は卓上におかれた裸電球だ。裸電球は、複雑な幾何学模様を刻んだ覆いによって半ばを隠されている。その幾何学模様を透かして照りつけた先に、六十代前後の初老が座していた。

 初老は麻の服をまとっており、その脚下には脚絆とフェルト靴とがあった。不躾に、その皺で覆われた凶相でもって艦内を覗き込んでくる。その、家畜小屋を観察するような態度に脊髄反射で怒りを覚えた。

「なんの用だ」

「…………。久しぶりに顔を見て、第一声がそれかね。相も変わらず情緒性の欠けた男だな。暫く見ぬうちに一段と病んだ顔つきになったものだ。まあ、そんな安普請な船で自堕落な生活をしておれば仕方もないか」

 距離によるタイムラグが生じており、それがもどかしい。小部屋の奥に座し、高価な木製家具の上で郭(かく)鵬挙は酷薄な笑みを浮かべていた。こちらの感情を見透かされているような強迫観念を抱き、頴達は意識して声を荒げる。

「余計なお世話だ。一体何の用事だといっているんだよ。御覧の通り、俺はあんたの命令を完遂しようとしているところだぜ。長く面倒極まりのない道程だったが、これで漸くB777区の龍脈図は完成するわけだ」

「…………。それは丁度よかった。だが、調査結果はまた別途報告してもらおう。その件については、今回の通信の本旨ではないのだ。実はだな、そろそろ頃合いなので新たな案件を振ってやりにきたのだよ」

「おいおい──今日付けで一体何ヶ月間あんたに拘束され続けたと思っているんだ。六ヶ月だぜ六ヶ月、『連邦』の労基法をなんだと思っているんだ。俺にも人並みの休養と報酬を得る権利が」

「…………。文句でもあるのかね──」

 ぽつり、と、老人が苛ついたように呟いてこちらをみた。その口元にもう笑みは浮かんでいない。頴達は息を飲んだ。画面越しであるのにも関わらず圧迫感を感じて、表情を隠したまま服で手の汗を拭う。堅気に出せる迫力ではない。鵬挙は龍脈公司が設立される以前、黒社会を取り仕切っていたことがあるのだ。

 黒社会とは、白社会には出来ないことを生業とする暴力組織の総称である。この黒社会の雛形は、中国の清朝時代にあった秘密結社がそうだといわれていた。台湾では黒道、香港では三合会という風に呼ばれている。こういった伝統は、華僑による惑星移民が行われた後も各地で引き継がれていた。

「──どうやら文句はないようだな。では早速本題に入るが、今回御前に赴いて欲しいのは他でもない。その座標から一週間たらずの距離にある惑星、絳桃だよ。当然知っておるだろう? 今の御前は、『連邦』で最もB777区に詳しい人間だからな」

「絳桃星──!」

 頴達は唸り声を挙げた。通信画像の隣に展開していた星図をみる。絳桃星といえば、帰還先とは正反対の方向にある地方国家ではないか。

「ちょっと待ってくれよ、絳桃星は独立国家なんだろう? 龍脈公司は、『連邦』と関係のない独立国家のためにわざわざ捜査を請け負う機関じゃあないぜ。独立国家の癖に自警団にあたる機関がないのか? そんなはずはないだろう」

「…………。まあまて。御前は艦内に引き籠もっていて、少しばかり世情に疎くなっておるようだな。絳桃星の連続失踪事件を知らぬのかな」

「連続失踪事件……」

 無知を蔑むような相手の表情に、頴達は頭に血が上るのを必死で堪える。ノイズリダクションの効果で、鵬挙の姿は不自然ににじんでいた。にじむ鵬挙は、茶碗を手に取っている。

 受け皿の側には、雑多な品々が白瓷に載せられ小さく並べられていた。フカヒレスープ入りの餃子は魚翅灌湯餃(ユーツィグントンガウ)、叉焼入りの肉饅は叉焼飽(ツァーシウバーウ)、小豆入りの汁物は紅豆沙(ホンダウサー)といい、こういった茶請けの菓子を総じて点心と呼ぶ。飲茶を楽しみながら、鵬挙は再び口開く。

「これについては、順序を追って話していく必要があってな。最近、この絳桃星の雑劇学院というところで、不可解な失踪事件が連続して起こっておるのだ。始めは数人規模の事件に過ぎなかったのだが、今ではなんと十数人規模にまで増加している。箝口令は敷いておったようだが流石に限界がでてきたそうだ」

「──微妙に聞き覚えがある話だな」

 確か、気晴らしに時事を検索していたときにそんな話を見たような気もする。しかし扱いも小さく、特に注意を引かなかった。画面の鵬挙は、こちらを眺めたまま、フカヒレスープ入りの餃子、魚翅灌湯餃を口元へ運んでいる。仏頂面のまま咀嚼をし、飲みこむと同時に話を再開する。

「──最初の失踪者は国立雑劇学院の学長だった。知っておるかね? 絳桃星において雑劇は基盤産業となっておるのだ。そしてある日を境に、ここの学長は奥方とともに忽然と姿を消してしまった。心中……、誘拐……、夜逃げ……、いずれにせよ原因は全くの謎。そしてそれを契機に、これと同質の失踪事件は、悪質な伝染病のように生徒、教員の間にも蔓延していった」

「失踪が連続している時点で、犯罪性が存在するのは明らかだな」

「…………。その通り。その上、これはただの失踪事件とは様相を異にしていたのだよ。実は、失踪者は皆一様に、消える直前奇妙な行動を取り始めてな。ある種のものに対して異常な執着心を持ち始めるのだ。それまではそんなものに興味がある素振りさえ見せなかったのにな。その上、失踪した瞬間も物理的にあり得ぬような消え方をしたりする。まだあるが、要するにこういった不可思議な状況証拠が積み重なって、これは風水師の仕業ではないかと結論がなされたわけだ。となると絳桃星の警察はお手あげだよ。『連邦』から造反し半鎖国状態になって以来、まともな風水学など絶えて久しかったからな。と、まあ、そういった経緯があって我々の介入が決定されたわけだ」

 鵬挙はその長台詞を一気に吐いてしまうと、勿体ぶった仕草で茶碗を持ちあげた。中継が繋がって以来気になっていたが、多忙とはいえ、それが人と会話をする態度なのだろうか。睡眠不足のせいか、細かいことがいちいち気に障る。頴達は一つ頭をふり、中空を漂っていた四四マグナム弾を指で摘んだ。そしてのっぺりとした操作盤に肘をつき、それでもって画面を指し示す。

「なるほどな。それが本当なら、確かに一地方国家の警察には手が出せない類の事件だぜ。要するに郭先生は、俺に雑劇学院へ行って失踪現場における風水の痕跡を調べろっていうんだな? それから絳桃星の警察と協力して、あわよくば事件を解決の運びへ持っていけと。冗談じゃあないっ。そんなのは──」

「次にこれを見て貰おう」

 判っていたことだが、鵬挙は人の話を聞く気など端から持ち合わせていないようだ。アムリタ号の主電脳に一つの個人情報が送られてきた。司法省から抜粋した代物だ。頴達はその、顔写真とともに羅列されていく経歴を渋々流し読みした。この強かそうな男は雑劇学院の副学長らしい。

「御前には、絳桃星へ到着後すぐにこの男から事情聴取をして貰う。とりあえず失踪事件に関する資料は、それまでの間に全て読み込んでおけ。それから宇宙港から歩いて数分の場所に御前の宿泊所を確保しておくから、そのつもりでいろ。そこから雑劇学院までは現地のものに案内をさせる」

「至れり尽くせりだな。何だか何時にない好条件だが、どういうつもりだ。逆に気味が悪いぜ。そもそも、案内なんて別にいてもいなくても同じだろうに。餓鬼の使いじゃあないんだぜ」

「…………。絳桃星は些か道が込み合っておってな。国都長嘯の通称はなんだと思う。二十四世紀の九龍城だ。これは少しも脚色した呼称ではないところが驚くべき点だ。異国人が勝手も分からずに彷徨くと、一瞬で方向感覚を失ってしまうこと請け合いなのだよ」

 そういって、鵬挙は卓上へ両肘を乗せた。卓の微妙な揺れとともに小部屋を照明模様が踊る。頴達はその幻惑的な様子を見やりながら、少し逡巡した後に舌打ちをした。何の魂胆があるかは解らないが、ここで考えていても答えは出ない。黙り込んだのを肯定と受け取ったのか、鵬挙は感情を窺わせない顔で頷いた。

「案内人は黎彗嫻という名の小娘だ。一応その娘の個人情報も電脳に転送しておくが、木のような触覚があるのですぐに解るだろう。必要な情報はこれで全て伝え終わった。──頼んだぞ」

「頼んだって……おい、それで終わりか。だからまだ承諾したわけじゃあ」

 頴達がいい終えないうちに、通信は一方的に途切れていた。立体画面にはもとの天体図が表示される。頴達は操作席に深く腰掛け、悪態をついた。失踪事件の調査。何故、鵬挙がこんなしょぼい事件のために、駒の限られる風水師を投入するのか。まるで解らない。必ず何か、裏がある。しかも、頴達には隠しておきたいような裏がだ。しかし、これ以上思案を重ねるには、頴達は疲れすぎていた。

 ──知ったことか。

 そう呟き、何かが吹っ切れたような錯覚を少しの間楽しんだ。頴達は疲労で血の巡りの鈍くなった頭で、支部へ帰還するよう設定してあった航路を削除する。そのまま崩れるようにして操作席に凭れかかった。瞬間、睡魔という名の澱が視界を覆ってしまう。ぼんやりと、絳桃星という名に対して違和感が沸き起こった。しかしその違和感は余りにも漠然としていて、すぐにどこかへ散逸してしまう。そのまま山高帽子を顔にかぶせ、頴達の意識は夢魔に絡み取られ一気に溶けていった。

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